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怒る石原都知事「政府がこのざまだ 日本はこのまま沈むよ」

・中国漁船衝突事件で那覇地検が船長を処分保留で釈放することを決めたことに
 ついて、東京都の石原慎太郎知事は24日の会見で「国民は怒っている。政府が
 このざまだ
 衝突した時のビデオを国民に見せるべきだ」と述べた

 知事は「観光や経済交流の利益は大事かもしれないが、国家にとっての価値は
 もっとほかにもある
 政府はしっかりしてもらいたい」と今回の対応を批判
 「政府は論拠を示すためにもビデオを公開すべきだ
 それがありながらなぜ
 裁判をしなかったということになりかねない。本当に腹が立つ。日本はこのまま
 沈むよ」と不満をぶちまけた

 尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件で、国が中国人船長の釈放を決めた
 ことについて、東京都の石原慎太郎知事は24日の定例記者会見で「政府は
 非常に間違った判断をした」と批判し
 中国の強硬姿勢については「暴力団の縄張りと同じやり方」と述べた

なぜ今、釈放か――。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、24日、●其雄(せんきゆう)船長(41)の
釈放を公表した那覇地検の判断には、周辺の漁業者らから戸惑いや憤りの声が
上がった(●は「擔」のつくりの部分)

衝突時のビデオ解析で「立証は堅い」と信じていた海上保安庁の職員は落胆の表情を浮かべ、
幹部は、海上警備で海上保安官が萎縮しないか、などの懸念も出た

「起訴して当然だと思っていたのに……。国に見捨てられた気分だ」

沖縄県・与那国島の与那国町漁協の中島勝治組合長(44)は、那覇地検の判断に
憤りを隠せない様子で語った

衝突事件以降、現場周辺海域で中国船を見かけることはなかったといい、
「せっかく毅然(きぜん)とした対応を続けていたのに、甘い姿勢を見せた以上、
すぐに中国の漁船がどさっと来るようになるはず
どうせ政治判断なのだろうが、
政府にはがっかりだ」と不満をあらわにした

宮古島の小禄貴英(よしひで)・宮古島漁協組合長(61)も「今回の判断で、
今度は尖閣周辺で我々が中国に拿捕(だほ)される恐れもある。国は尖閣が日本の領土という
主張だけは、強く示し続けてほしい」と訴えた


邦人4人調べ、中国から通報=仙谷官房長官

・仙谷由人官房長官は24日午前の記者会見で、中国で日本人4人が河北省
 石家荘市国家安全機関の取り調べを受けていることについて、中国政府から
 23日夜に「4人が中国の軍事施設保護法と刑事訴訟法に基づいて居住監視を
 受けている」と通報があったことを明らかにした。

 その上で、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件との関係について「適用法令から
 すると関連はないと考えている」と述べた。

関連ないと考える根拠が知りたいものだ
もし仮に日本の国民感情に配慮しての
言い回しだとしたら
逆に国民をナメているとしか思えない
どういう意図で発言しているのかはともかく
どちらにせよ私は軽率で不快な会見であったと感じた





自民党の安倍晋三元首相は衆院議員会館で記者団に「極めて愚かな判断だ。
領海侵犯であることは明々白々で、中国の圧力に政治が屈した」と厳しく批判。

石破茂政調会長は「菅直人首相と前原誠司外相が(訪米で)不在だ。いかなる判断に基づいて決めたのか
国民に説明する義務がある」と述べ、政府に説明を求めた。

みんなの党の渡辺喜美代表も記者会見で「明白な外交的敗北で開いた口がふさがらない。
菅内閣の弱腰外交を糾弾していかなければならない」と断じた。



正論
今回の事件で日本の外交における
駆け引きと戦略性のなさに絶句した
海上保安で日々努力している人間にとっては本当に嘆かわしい限りだろう
国の上層がこんなんだと下の人間はやりづらいことこの上ない
事実上人質となっている4人の無事を祈りつつ
中国の反日感情が沈静化することを願う
中国の掲示板では日本に報復だの戦争だの盛り上がっているが
あんな小さな島が発端で戦争になってもお互いやりきれんだろうに・・
資源を奪い合って殺し合いとかアジアの恥と知るがいい

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5つアップしましたが5つともまとめて記事に乗っけると
回線が重ーくなってしまうのでこちらでご覧くださいませ

ピーターソンがギャングタックル5人とセカンドタックル2回連続でブレイクしました
7人突破とかどうやって止めろというのか
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カプコンKinect参入タイトル第1弾。

あの、人々の記憶に残る「鉄騎」の魂を受け継いだ新作が
マイクロソフト協力のもと、カプコン、フロム・ソフトウェアとの
共同プロジェクトでXbox360に登場する。

2082年マンハッタン。
アメリカ軍によるニューヨーク上陸作戦が開始された。
コンピューターを失い、技術の多くが滅びてもなお、
国々は覇権を求め戦い続ける。
塹壕に隠れた兵士を機銃が掃射し、破壊されたトーチカが黒煙を上げ、
負傷した仲間を飛び交う銃弾の中で引きずり、あるいはその者も
倒れる戦場で、ただ鉄騎のみが前進を続ける。

すべてのゲーマーよ、Kinectによって実現された今だかつてない戦場を体感せよ。

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まーたマッデンと関係ない記事
というかマッデンどころではないので書いているわけです
本当はじっくり「ピックアップNFL」の記事だって書きたいんですが
正直精神的に余裕がありません


経済情報紙より抜粋

市場の関心は、政府・日銀がいつまで介入を続けるかだ
カギは国債の一種である
「政府短期証券」の発行限度額が平成22年度予算で145兆円に設定されたことにある

政府短期証券は政府が円売り介入を実施する際に市場から円を調達するために発行するもので
3月末時点で105兆円を発行済み
残る40兆円分が新たに発行可能で実質的に介入の限度額になる

これは平成15~16年の円高局面で介入に投じた35兆円を上回る
だが大規模介入を実施しながら自国通貨安誘導に失敗したスイスの例もある

今回は政府にとって「負けられない戦い」(関係者)のため介入長期化が予想され
その場合は介入規模の膨張が避けられない

政府は表向き、「(介入の)資金が不足することはまったくない」(池田元久財務副大臣)との立場だが、
一部からは政府短期証券の発行枠拡大も検討すべきだとの声も上がっている


バカですか

負けられない戦いなのに介入限度額公開とか本当に救いようのない無能さです
久々に殺意が芽生えました
はっきり言って政府のやり方は甘すぎる
この調子だと消費税を10%や20%にしたところで全部無駄遣いされて終わりですわ
本当に良く出来た民主主義国家です
国のためだといえば大半の国民がアホみたくマスコミに踊らされて
少数の正しい意見はもみ消されるというシステムがあちらこちらで確立されてるもんだから
政治も経済も腐る一方なわけです
せめて国民の経済の理解度や意識変革に予算を割けと言いたい

あとついでに年金のシステムはもう終わってます
納付額と支給額が天秤として成立しなくなります(もうなってるか)
税金注入で誤魔化されて結果としてデフレ天国です

借金大国もここまでくると沈没は時間の問題に感じます
私はいつでも国外に逃げる準備はできています
これから本格的に日本は住み辛くなる一方になります
日本はわかりやすく言えば赤字なのに営業方針を変えない銀行
国民が顧客なわけです
わからないように狡猾に顧客の口座を不正操作し悪用するのは明白
皆さんもそれなりの準備はするべきだと思います
「自分が生きている間は大丈夫」と思っているとますます危険

私は生活に困らない程度の資金だけ円で保持し
残りの資産はドルとウォンに分配して運用していこうと考えています
今後万が一(でもないか千が一)経済が破綻し大事となった場合
経済に無関心で無知な国民に対して政府がしてくれることなんて
たかが知れています
自分の財産は自分で考え自分で守る時代です

この記事で一人でも多くの人が経済に興味抱いてくれるだけでも
書いた意味はあると思っています

最後まで読んでくれてありがとうございました
ブログの趣旨とは全く関係のない話になるが
この国の転機である以上記事にするべきだと考える

政府・日銀は15日、6年半ぶりとなる
外国為替市場への単独での円売り・ドル買い 介入に踏み切り
ロンドン市場でも断続的に介入を続けた

介入規模は1兆円に上るとみられる
14日の民主党代表選に勝利した菅直人首相が介入に消極的とみて
円買いを進めていた投機筋は予期せぬ「奇襲攻撃」に衝撃を受け
円相場は 1ドル=82円台後半から2円以上も急反落した
だが、米国経済の先行き懸念を背景とするドル売り・円買い圧力は依然根強
政府・日銀は先の見えない市場との戦いに足を踏み入れたことになる

午前10時35分
円相場の急変で東京外国為替市場の関係者はパニックに陥った
関係者によると政府・日銀が介入のサプライズ効果を出すために
東京外為市場で仲介業者を通さず電子取引で直接巨額のドル買いを実施した
「このまま放置できない段階に来た」
菅首相は15日夜、官邸で記者団に対しこのタイミングで介入に踏み切った理由を語った
しかし欧米が自国の通貨安を容認し協調介入に理解を得るのが難しい情勢の中で
単独での介入に踏み切るには ギリギリの決断が必要だった

財務省幹部は「やるからには『スカッとした』というのでは意味がない
勝たなければ」
6年半ぶりの介入に興奮を隠さない
8月中旬からの急激な円高に対する政府への「無策批判」が高まる中
財務省は水面下で介入に向けた準備を進めてきた

現職の玉木林太郎財務官をはじめ、過去2代の財務官は介入経験を持たない
このため8月中旬、財務官として03年から04年にかけて
過去最大の33兆円規模の円売り介入を主導した溝口善兵衛氏(現島根県知事)を
ひそかに東京に招き国際局の担当者が当時の経験談を詳細に聞き取った
8月27日、菅首相は「必要な時には断固たる措置を取る」と
強い口調で介入を示唆した
だがその時点では各国への根回しがまだ終わっていなかった
財務省国際局の担当者は各国当局者と頻繁に連絡を取り
「これ以上円高が進み、日本経済が悪化すれば世界経済にもマイナス」
「協調してほしいとは言わないが、批判はしないでほしい」と強く要請した

多くの市場関係者は「政府の防衛ラインは1ドル=80円
政府は党人事や組閣、国会対応で時間を取られ、当面は介入はできない」(大手証券ストラテジスト)と
円買いを進める余地があると見ていた
14日の代表選の首相再選直後には菅首相の介入への消極姿勢を見越して急速に円買いが進み
1ドル=82円台後半まで急騰した

野田佳彦財務相は一夜明けた15日朝、介入を決断
「このままやらなければ口先だけだと思われる。市場が介入が無いと思っている今ならサプライズを与えられる」
(財務省幹部)
市場に宣戦布告を仕掛けた瞬間だった
仙谷由人官房長官は市場の見立てより円安の1ドル=82円台が防衛ラインだったとの考えを示した
「介入資金の原資は国民からの借金。無限にあるわけではない」(財務省幹部)中で
当面、政府・日銀と市場の苦渋の神経戦が続きそうだ

一個人投資家としては非常に大きな転機であると受け止め
全資産の約2割にあたるおよそ一千万円を運用し
半年で60万円の収入を見込んでいる

金がない
職もないと嘆いている人にも好機であると考える
ひとつのギャンブル性は否めないが人生で成功するには
知識と経験に基づく勝負をしなければならないものである
5年前までは私の財産など貯金100万程度だった

だがこんな国で毎日仕事に追われみすぼらしい老後なんて納得できなかった
人生このまま終わるくらいなら勝負にでようと決心

信用取引で借金まみれ覚悟で900万円借り入れ全額バンダイビジュアルに投機した
銘柄の性質上年末年始で売り上げが急上昇しやすいことを材料としていたが
運よくその年明けに急騰(その後急騰はその年だけだったと知る)
一ヶ月で400万円の利益を得て夏にはビール会社を中心に投機しこれも
発泡酒の当り年で300万
それを元手にガソリン原油を買いまくり
会社宛てにかかってきた証券会社からの商談を個人で受け
とうもろこしでも一山当てることに成功し1400万

ニュースで話題にもなった低所得者向け住宅から波及したアメリカ経済の傾きや
ヨーロッパ通貨の不安材料が重なり安定した財産を得ようとする世論情勢から
金の需要が伸びるであろうと仮定し長期運用のつもりで1000万投資し倍となる

自慢話にしか感じないだろうが正直言ってこんなものラッキー以外のなんでもない
下手すりゃ借金でとっくに自殺している
世の中の大金持ちの人種は悪いことやってる奴か運がいい奴かの2つしか存在しない
誰にでも夢があるだろうし
いつかはこうなったらいい
いつかはあんな暮らしがしたいと思うだろう

ただ漫然と毎日を過ごし他人を当てにしているのでは
そんな「いつか」は絶対にこない
成功は天から降ってくるものではなく自らが掴み取るものである

長々と大変失礼したが今の生活で満足していないのなら
自己責任ながら勝負にでる選択肢もあるということを感じて頂けたら幸いに思う
●アメリカンフットボールの誕生●

1869年11月6日、アメリカで初めてのサッカーの試合がラトガーズ大学とプリンストン大学の間で行われました。その後7年の間に、東部の学校ではサッカーよりラグビーを好んでプレイするようになりました。そして、フットボールはラグビーから発展する形で全米各地へ広まっていきました。1876年には初のアメリカンフットボールのルールが起草されました。そして、後に「フットボールの父」として知られるようになる、ウォルター・キャンプが初めてフットボールとの関わり合いを持つようになりました。1892年、地域のアスレチック・クラブ間の争いが激化してきたのに伴い、ピッツバーグのクラブに初めて報酬をもらってプレイするプロ選手が誕生。翌年には初のプロ契約選手も誕生しました。1899年には現在のアリゾナ・カーディナルスの前身である、モーガン・アスレチック・クラブが創立されました。

1900年代に入るとプロフットボールの中心は、それまでのペンシルバニア州西部からオハイオ州へと移行していきました。1906年には初めてフォワードパスが認められるようになり、フットボールは大きな進化を遂げました。プロチームが増え、各地でリーグ戦が行われるようになると、大きく3つの問題が浮上しました。1つ目が年棒の急騰。2つ目に高い給料を求め、次から次へとチームを移る選手たち。そして3つ目が、まだ大学に在籍中の選手の扱い。そこで、これらの問題を解決するため、全てのクラブが同じルールに従って運営が行われるようなリーグを作る必要性が唱えられるようになり、それがNFL創設の礎となりました。

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1981年まで使われていたNFLの旧ロゴ


●1920年代
1920年8月20日、4つのプロチームの代表者たちがオハイオ州カントンで会合を持ち、APFA(American Professional Football Association)を発足しました。そしてその2年後、APFAは正式にNFL(National Football League)と改名されました。
当時のNFLを支配していたのはカントン・ブルドッグスで、1922年からの2シーズンで21勝0敗3分の圧倒的な強さで2連覇を達成しました。その後、グリーンベイ・パッカーズがアール・ランボー ヘッドコーチの指揮の下で頭角を表し、1929年から1931年まで3連覇を果たしました。また、1912年のオリンピックでのデカアスロン金メダリスト、ジム・ソープは何チームかでプレイした後、NFLの初代プレジデントに就任しました。
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NFL発祥の地オハイオ州キャントンにあるプロフットボール・ホール・オブ・フェイム


●1930年代
NFLが発足してから数年は、成長に伴う痛みを経験しました。1933年には10チームが東と西の地区に分けられ、NFL初のチャンピオンシップゲームが行われました。その試合ではシカゴ・ベアーズがニューヨーク・ジャイアンツを23対21で下し、NFL初代王者に輝きました。

1930年代は、オーナー兼ヘッドコーチであったジョージ・ハラスに率いられ、FBのブロンコ・ナガースキーらを有するベアーズが注目を浴び、大恐慌から第1次世界大戦までの間にベアーズは4回の優勝を達成しました。

1939年には、フィラデルフィア・イーグルスとブルックリン・ドジャースの対戦で、初めてNFLの試合がTV中継されました。また、このシーズンには史上初めて観客が100万人を超えました。
(1,071,200人)

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ベアーズのオーナー兼ヘッドコーチであり、NFL創立メンバーの1人でもあるジョージ・ハラス


●1940年代
1940年代は、シカゴ・ベアーズによるNFLチャンピオンシップでのワシントン・レッドスキンズ戦73対0という圧倒的勝利で幕を開け、フィラデルフィア・イーグルスの史上初の2年連続シャットアウトによる連覇で幕を閉じました。
1946年にライバルリーグ、AAFC(ALL-American Football Conference)が8チームでシーズンを開始しました。オーナー兼ヘッドコーチ、ポール・ブラウンに率いられたクリーブランド・ブラウンズは、リーグが存続した4年間に47勝4敗3分の成績を残しAAFCを支配しました。


●1950年代
1950年になるとAAFCが崩壊し、クリーブランド・ブラウンズ、ボルティモア・コルツ、サンフランシスコ・49ersがNFLに加入しました。そして、QBオットー・グラハムに率いられたブラウンズは、そのシーズンのNFLチャンピオンに輝きました。

1950年代はブラウンズとデトロイト・ライオンズが支配しました。ブラウンズはAAFC時代も含め3回タイトルを獲得、チャンピオンシップには実に10年連続で出場し、そのうち7回に勝利を飾りました。RBドーク・ウォーカーとQBボビー・レーンに率いられたライオンズも3回の優勝を果たし、1952年と1953年はいずれもブラウンズに勝利し連覇を達成しました。
NFLが拡大するに従い、TVの重要性も比例して増していきました。1950年にはロサンゼルス・ラムズが全試合をTV中継される初のチームとなった。1951年デュモン・ネットワークが$75,000の放映権料でNFLチャンピオンシップを初めて全米中継しました。
1958年に行われたコルツとニューヨーク・ジャイアンツのNFLチャンピオンシップは、NFLにとって大きな転機となりました。『史上最高の試合』とも呼ばれるこの試合では、コルツがオーバータイムの末23対17で勝利を収めました。この試合は全米中継され、何百万人ものファンが画面の中に繰り広げられるドラマにくぎ付けとなり、NFL人気に拍車をかけることになりました。
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ブラウンズQBオットー・グラハム



●1960年代
1960年代にはその後のNFLに大きな影響を及ぼす事態が数多く起きました。ビンス・ロンバルディ ヘッドコーチ(HC)率いるグリーンベイ・パッカーズの台頭、新たなNFLコミッショナーとしてピート・ロゼールの登場、AFL (American Football League)の登場、そして1967年1月のスーパーボウル初開催。

1959年、ロンバルディはパッカーズのヘッドコーチに就任し、1947年以来勝ち越したシーズンがないチームに自らの勝利の哲学を注入しました。ロンバルディHCが率いた9シーズン(1959-1967)のうち、パッカーズは5度のチャンピオンシップと第1回と第2回のスーパーボウルに勝利しました。

1960年、当時ロサンゼルス・ラムズのGMであった弱冠33歳のピート・ロゼールがNFLコミッショナーに就任し、前年に急死したバート・ベルの後を引き継ぎました。

1961年には、リーグの更なる成長と安定のため、重要な法案が議会で可決されました。この議決により、プロスポーツリーグが1つのネットワークTV局と放送契約を結ぶことが合法となり、アメリカ国内での視聴者を増やすための大きな機会が訪れました。ロゼールはこのチャンスを生かし、1962年にCBSとNFLレギュラーシーズン戦を独占放送する契約を初めて結びました。
1965年にハリス・サーベイ社が行った調査によると、41%のスポーツファンが最も好きなスポーツとしてプロフットボールを選び、初めて野球(38%)を抜きました。

 1960年にラマ-・ハント(現チーフス・オーナー)によって創設されたAFLは、1966年NFLと合併しました。合併後も1969年まではそれぞれのリーグが独自で運営を行い、スケジュールも別々でしたが、1967年1月から年に1度お互いのチャンピオンチーム同士が対戦する、『AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム』(後にスーパーボウルと呼ばれる)が始まった。

1967年1月15日、第1回スーパーボウルが61,946人の観衆を集めロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われ、NFLチャンピオン グリーンベイ・パッカーズが35対10でAFLチャンピオン カンザスシティ・チーフスを破りました。第1回から4回のスーパーボウルの放映権はCBSとNBCに$9,500,000で売られました。

1969年、マイアミで行われた第3回スーパーボウルでは、AFLチャンピオン ニューヨーク・ジェッツがQBジョー・ネイマスの予告通り、NFLチャンピオン ボルティモア・コルツに勝利しフットボール界に衝撃を与えました。このジェッツの大番狂わせで人々は徐々にNFLとAFLの合併を受け入れ始め、その後AFL/AFCチームが12回のスーパーボウル中10回に勝利を収める出発点となりました。
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パッカーズの伝説的ヘッドコーチ
ビンス・ロンバルディ

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今日のNFLを築いた前コミッショナー
ピート・ロゼール

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華やかな私生活で“ブロードウェイ・ジョー“とも呼ばれた
ジェッツQBジョー・ネーマス


●1970年代
1970年シーズン前、NFLとAFLの統合によりチームはNFC(National Football Conference)とAFC (American Football Conference)、2つのカンファレンスに分けられた。AFCは新たに新設されたシンシナティ・ベンガルズを含む旧AFL 10チームとNFLからボルティモア・コルツ、クリーブランド・ブラウンズ、そしてピッツバーグ・スティーラーズが加わる形で形成されました。

1972年、マイアミ・ドルフィンズがNFL史上唯一のシーズン無敗(17勝0敗)で第7回スーパーボウルを制した。

ピッツバーグ・スティーラーズはオーナー アート・ルーニー、ヘッドコーチ チャック・ノルの下、1970年代に4回スーパーボウルに出場し(第9回、第10回、第13回、第14回)その4回すべてに勝利しました。スティーラーズはオフェンスにQBテリー・ブラッドショー、WRリン・スワン、ジョン・ストロワースらを擁し、また、DTジョー・グリーン、LBジャック・ハム、ジャック・ランバート、CBメル・ブラントらが率いたディフェンスは「スティール・カーテン」と呼ばれ恐れられました。
1970年代のNFCチームのスーパーボウル勝利は、第6回、第12回でのダラス・カウボーイズだけでした。

フィールド外の話題としては、リーグの各チームを代表するNFLマネージメント・カウンシルとNFLプレイヤーズ・アソシエーションが団体労使契約に合意し、選手たちを取り巻く環境は格段に向上しました。

1976年には、シアトル・シーホークスとタンパベイ・バッカニアーズが新規加入し、27、28番目のフランチャイズとなりました。
1978年にレギュラーシーズンの試合数が14試合から16試合増えると共に、プレイオフ出場チームが各カンファレンス、ディビジョン・チャンピオン3チームとワイルドカード2チームの計10チームに拡大されました。

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スティーラーズは70年代4度のスーパーボウル制覇

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カウボーイズの名将
トム・ランドリー


●1980年代
1980年代は記録的集客数、うなぎ上りの視聴率、フットボールの国際化に彩られました。

サンフランシスコ・49ersが1980年代を代表するチームとなりました。オーナー エディー・デバトロJr、ヘッドコーチ ビル・ウォルッシュ、その後継者ジョージ・シーファートらに率いられ、QBジョー・モンタナ、WRジェリー・ライス、RBロジャー・クレイグ、DBロニー・ロットらの活躍により4度のスーパーボウルを制覇しました(第16回、第19回、第23回、第24回)。
1982年にシルバードームで行われ、49ersが26対21でシンシナティ・ベンガルズに勝利した第16回スーパーボウルは、アメリカにおけるスポーツイベントとしては史上最高の視聴率を記録しました(49.1%、シェア73.0%)。スタジアムを訪れる観客は1981年シーズンに13,600,000人(1試合平均60,745人)を動員しました。

NFLの視聴者はさらに増え続け、シカゴ・ベアーズがニューイングランド・ペイトリオッツに46対10で勝利した第20回スーパーボウルは、単体のTV番組としては史上最高となる1億2千700万人が中継を視聴しました。

1986年、海外でのNFL人気を受け、アメリカ国外でのプレシーズンゲーム・シリーズである『アメリカンボウル・シリーズ』をスタートし、これまでに東京、大阪、ベルリン、メキシコシティ、モントレー、ダブリン、モントリオール、ロンドン、バルセロナ、トロント、バンクーバーで試合を開催しました。
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80年代を代表する名QB
49ersのジョー・モンタナ

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49ersの名将
ビル・ウォルッシュ


●1990年代
1989年、コミッショナー ピート・ロゼールが引退を発表し、それを受け、弁護士としてNFLに20年間携わりロゼールも信頼を寄せていたポール・タグリアブーがNFL第7代コミッショナーに就任しました。

1990年シーズンはタグリアブーの初年度として様々なことが起きた年でした。ABC、CBS、NBC、ESPNとの契約を更新し、新たにTNTとの契約がまとまりました。また、NFLの薬物、アルコール、ステロイド使用に関する規定が見直され、さらに強化されました。さらに、16試合のレギュラーシーズンを17週にわたり消化していくようスケジュールが改正され、各カンファレンスのワイルドカード出場チームが1つ増やされました。
1990年代に入ってもNFLの人気、観客動員数は増え続け、FOXとの共同事業としてNFLヨーロッパ(NFLE)を新設し、アメリカ国外への進出も本格化しました。

ダラス・カウボーイズが3度のスーパーボウルを制し(第27回、第28回、第30回)、1990年代の顔となりました。
また、1997年にはデンバー・ブロンコスが第32回スーパーボウルで、スーパーボウル5度目の出場にして悲願の初制覇を達成しました。この勝利はAFCチームとして実に13年ぶりとなるものでした。ブロンコスは第33回スーパーボウルにも勝利し連覇を遂げました。
1990年代初頭のフィールド外での最も重要な出来事としては、1993年になされた団体労使協定の延長があります。この協定は1997年にさらに2003年まで延長されました。
そして、リーグの拡大はさらに続いていきました。1995年、ジャクソンビル・ジャガーズとカロライナ・パンサーズが新設され、リーグは30チームに拡大しました。また、1996年にはクリーブランド・ブラウンズがボルティモアに移転し、チーム名も歴史も改め、新チーム「レイブンズ」としてスタートしました。そして、残ったクリーブランド・ブラウンズの名称と歴史を引き継ぐ形で、新生ブラウンズは1999年に再スタートを切りました。

1998年、NFLはABC、CBS、ESPN、そしてFOXと8年間の放送契約を結びました。
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NFLコミッショナー ポール・タグリアブー

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ヨーロッパに進出したNFL

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スーパーボウル5度目の出場で悲願の制覇を果たしたブロンコス


●2000年代
21世紀に入ってもなおNFLの人気は拡がりつづけています。

2000年には観客動員記録を3年連続で更新し、ついに2,000万人を超えました。レギュラーシーズンでの16,387,289人、1試合平均66,078人も3年連続の記録更新となりました。
2002年には新チーム、ヒューストン・テキサンズが新たに加わって32チームとなり、それに伴い、リーグは4チームからなる8個のディビジョンに再編されました。7チームがディビジョンを移り、シアトル・シーホークスがAFCからNFCに所属変更。スケジュールを作成する際のフォーマットも変更され、4年に1度の周期でリーグ内の全チームが対戦することになりました。

2003年、NFLは24時間NFL関連の番組を放送する専門チャンネル『NFLネットワーク』の放送を開始。レギュラーシーズンの観客動員は過去最高となる16,833,310人を記録しました。

2004年には、CBS、FOXとの6年の放送契約の延長に合意し、両ネットワークは2010シーズンまでNFLの中継を行うことが決まりました。観客動員は2年連続での記録更新となる16,913,584人、1試合平均66,328人を達成しました。

2005年にはニューイングランド・ペイトリオッツが第39回スーパーボウルでフィラデルフィア・イーグルスを24対21で下し連覇を達成し、過去4年で3度目となるビンス・ロンバルディ・トロフィーを手にしました。4年で3度のスーパーボウルを制覇するのはダラス・カウボーイズ(第27回、28回、30回)以来、NFL史上2チーム目。

2005シーズンの観客動員は3年連続で記録更新となる17,000,811人、1試合平均66,409人と史上初めて1,700万人を突破しました。さらに、NBCと2006シーズンから2011シーズンまでのサンデーナイトゲームの放映権を契約、ESPNとは2006シーズンから2013シーズンまでの『マンデーナイトフットボール』の放映権契約を結びました。

2005シーズンには、NFL86年の歴史上初めてアメリカ国外でのレギュラーシーズン戦が、アリゾナ・カーディナルスとサンフランシスコ・49ersの対戦で10月2日(日)、メキシコシティで開催されました。

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ハリウッド級のサクセス・ストーリーでラムズをスーパーボウル制覇に導いたラムズQBカート・ワーナー

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第39回スーパーボウルでイーグルスを下し連覇したペイトリオッツQBトム・ブレイディ


日本国内で11が発売されることは大変うれしいことですが
興味はあるけどルールがわからない方のためにカテゴリを新設しました


試合の進め方

■はじめに
アメフトは肉弾戦と思われがちだが、実は緻密な戦略ゲームである。
4回の攻撃権で10ヤード進む=DOWN(ダウン)制。これがアメフトの最も基本的なルールとなる。オフェンスにはまず4回の攻撃権が与えられ、その4回のうちに10ヤード以上進むと、新たに4回の攻撃権が与えられる。オフェンスはそれを繰り返しながら相手エンドゾーンを目指し、TD(タッチダウン:6点)やFG(フィールドゴール:3点)を狙う。逆に、4回のうちにボールを10ヤード以上進めなければ、その時点で相手チームに攻撃権が移ってしまう。言いかえれば、野球でいう3アウトが、アメフトでは4アウトになっているといえる。※ 10ヤード=9.14m

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基本情報
■フィールド
フットボールとは陣地を争うゲームである。ボールを持って攻撃する側(オフェンス)はタッチダウンまたはフィールド・ゴールと呼ばれるキックによる得点を目指して、相手陣地の最後にあるゴールラインの向こうのエンドゾーンめがけてあらゆる手段、主にパスまたはランを使って前に進もうとする。対する守備(ディフェンス)は、相手の作戦を読み、少しでも相手をエンドゾーンから遠ざけようとする。オフェンス、ディフェンス共に1プレイ終わるごとに冷静に状況を分析し、それに応じて次の作戦を立て、それぞれの選手が正確に作戦に従いプレイする。オフェンス、ディフェンスともに11人の選手から構成される。


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プレイの行われるフィールドは、長さ91.4メートル、幅48.8メートル。

■試合時間
1Quarter(クォーター:Q)15分×4Q=60分

○ 前半 = 第1Q + 第2Q
▲ ハーフタイム = 12分
○ 後半 = 第3Q + 第4Q

第1Q終了時、第3Q終了時は、両チームの陣地が入れ替わり、プレイは第1Q、第3Qが終了した地点からそのまま継続して行われる。また、第2Q終了(=前半終了)後にプレイはリセットされ第3Q開始(=後半開始)は、試合開始とは逆のチームのキックオフにより再開される。ちなみに、NFLのみならずアメフトでは、ハーフタイムショーなど様々な演出が施され、会場の雰囲気に華を添える。

※ 日本では通常1Q=12分でプレイする。
※ 実際の試合は途中で時計が止まるなどするので、2、3時間かかる場合もある。

■プレイヤー
アメフトは1ダウンにつき1チーム11人でプレイする。ただし、選手の交替は自由に行うことができ、1度ベンチに下がった選手も、何度でも試合に戻ることが許されている。なので、チームは通常11人以上の選手を保有し、オフェンス、ディフェンス、スペシャルチームなど、状況によって出場させる選手を使い分ける。ちなみに、NFLでは1チーム53人まで選手をロースターに登録して保有できる。1試合に出場できるのはそのうち45人。

試合の流れ
■キックオフ
キックオフチームのK(キッカー)は自陣30ヤードから相手陣深くを狙ってボールを蹴り、リターンチームはそのキックされたボールをKR(キックオフリターナー)がキャッチして、次のオフェンスを少しでも相手陣エンドゾーン近くから開始させようと、陣地回復のためにボールを持って走る。KRがキックオフチームのSP(スペシャルチームプレイヤー)に止められた地点でプレイは終了となり、そこからリターンチームがオフェンスを開始する。試合開始時にキックオフを行うか、リターンを行うかの選択は試合前のコイントスによって決定され、後半は試合開始時とは逆のチームがキックオフを行うことで開始される。

■ボールの進め方
オフェンスは相手陣内のエンドゾーンに到達しようと少しでもボールを前に進めようとする。オフェンス側はボールを持つと4回の攻撃権が与えられる。その4回のうちに10ヤード以上ボールを進めるとファーストダウンとなり、さらに4回のダウンが与えられる。もし4回攻撃を終えて10ヤード進めていない場合、その時点で攻撃権は相手チームに移る。攻撃側はこの4回のダウンを第1ダウンを取り更新することで、相手陣内のエンドゾーンに近づいていく。

■得点
得点をする手段は4つある。

タッチダウン(TD) ── 6点:
タッチダウンは相手のゴールラインを、ボールの先端が通過した時点で得られる。走ってボールをエンドゾーン内に持ち込んだり、エンドゾーン内でパスを受け取ることでTDとなる。また、ボールを持っている選手が落とした(ファンブル)ボールを相手のエンドゾーン内で押さえても(リカバー)TDになる。TDをすると自動的にエクストラ・ポイントもしくはツーポイント・コンバージョンで追加点を上げるチャンスが与えられる。

エクストラ・ポイント/ツーポイント・コンバージョン ── 1点/2点:
TD直後、ボールは相手ゴールラインの2ヤード前に置かれる。オフェンスはそこからエクストラ・ポイントをするかツーポイント・コンバージョンをするかを選択する。ほとんどの場合エクストラ・ポイントを選択し、フィールド・ゴール同様キックがゴールポストの枠内を通過すれば1点が与えられる。状況によってはツーポイント・コンバージョンを選択する。TDをしたときと同様に、パスかランでボールが相手ゴールラインを超えれば2点が与えられる。

フィールド・ゴール(FG) ── 3点:
フィールド・ゴールは、通常、オフェンスが相手エンドゾーンに近づいているが第4ダウンを迎えてしまった場合に選択される。キックしたボールがエンドゾーン後方にある、ゴールポストの枠内を通過すれば3点が与えられる。フィールド・ゴールを失敗すると相手はボールが置かれていた地点(相手陣20ヤード以内で蹴った場合は20ヤード地点)から攻撃を始められるため、通常、キックが成功すると判断される、相手陣内の40ヤード以内まで攻め込んでいる場合にフィールド・ゴールが選択されるケースが多い。

セイフティー ── 2点:
いわゆる自殺点。セイフティーはオフェンスでボールを持った選手が、自陣のエンドゾーン内でタックルされて起こる場合が多い。セイフティーになると、セイフティーを取られたチームのキックで試合が再開される。

■各プレイの開始
オフェンスの各プレイはスナップで始まる。ボールが置かれた位置(スクリメージ・ライン)でクォーターバック(QB)が大声で合図を叫ぶと、QB正面に位置するオフェンス・ラインの真中の選手(センター)が足の間からQBにボールを手渡すか投げるのがスナップである。オフェンスの中心的役割を果たすQBは、ボールをもらうと他の選手にパスをするか、手渡すか、自らを持って走るかの選択がある。

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ボールの置かれた地点がスクリメージ・ライン。

■各プレイの種類
ランプレイ:
ランプレイでは、RB(ランニングバック)を中心としたボールを持って走る選手たちが、時には迫りくるディフェンスを鮮やかなステップでかわし、そして時にはパワーで蹴散らしながら、前進を狙う。OL(オフェンスライン)ら、ボールを持たない選手たちはディフェンスをブロックしてボールを持って走る選手の走路を切り拓くために奮闘する。ボールを持って走る選手がディフェンスに止められた地点から次の攻撃が開始される。
ちなみに、空中戦を挑むパスプレイの方がロングゲインの確率は高いが、ボールをキープするという意味では、パスによってボールが一時的にフリーな状態になる危険のないランプレイの方がより確実だと考えられている。

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パスプレイ:
パスプレイでは、パスをキャッチするためにあらかじめ決められたコースを走るWR(ワイドレシーバー)を中心とするレシーバーたちを狙って、QBがボールを投げる。パスをキャッチしたレシーバーがディフェンスに止められた地点から次の攻撃が開始される。逆にレシーバーがボールをキャッチできずパスが不成功に終わった場合(=パス・インコンプリート)は、そのプレイのスナップと同じ地点に戻り次の攻撃が開始される。
ちなみに、QB以外の選手がパスを投げることも可能だが、前方へのパス(=フォワードパス)は、スクリメージラインよりも後ろからしか投げられず1プレイで1度しか許されない。ただし、アメフトではラグビーと同様に後方へのパス(=ラテラルパス)は何度でも認められている。

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パント:
パントとは、攻撃権を放棄して行う陣地回復用のキックである。第4ダウンにそのまま攻撃をしてファーストダウンをとれなかった場合、相手にとって都合の良いポジションから攻撃を始められてしまい得点されやすくなる。パントをすることでそのリスクを避け、相手の攻撃を自陣のエンドゾーンからより遠い地点から始めさせられる。パントでは、オフェンス側はパント用のスペシャル・チームがキックオフ同様、相手陣内めがけてボールを蹴り、ディフェンス側もパント・リターン用のスペシャル・チームがボールを少しでも前に進めようとする。

■プレイの終わり
ディフェンスはボールを持った選手を倒すことで、相手が自陣のエンドゾーンに向かって走って行くのを止めることができる。タックルをしてボールを持った選手の膝が地面につくか、フィールド外に出た時点(アウト・オブ・バウンズ)で1つのプレイは終わる。

■ハドル-作戦会議
プレイが終わると、次のプレイを始める前にオフェンス、ディフェンスともに作戦会議(ハドル)を行う。ハドルでは状況に応じて、あらかじめ決められた300近くのプレイの中から次のプレイを選択する。それぞれのプレイでは個々の選手の動きが決められている。ラン・プレイであれば、RBはどういうコースを走って、その走路を作るために他の選手はどの選手をブロックするか、パスであればWRはどういうコースを走ってどの地点でパスをもらうかまで決められている。

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フォーメーション:
オフェンス、ディフェンスともプレイ開始時には、作戦に応じた隊列(フォーメーション)を組んでいる。例えば、短い距離を確実に進みたい時はブロックする選手を増やしたり、長い距離を稼ぎたい時にはWRの数を増やしたりする。ディフェンスもパスが予想される状況ではWRをカバーする選手を増やしたり、ゴール前では前の方に選手を集める。

■第4ダウン終了前での攻守交替(ターンオーバー)
ターンオーバーはディフェンスの夢であり、オフェンスにとっては悪夢だ。攻撃中に次の2つのうちどちらかが起きると、その時点で攻撃権は相手チームに移る


ファンブル:
ディフェンスの選手は、オフェンスのボールを持つ選手にタックルする際、ボールを叩き出すなどして相手のファンブルを狙う。ファンブルとは英語で「ボールを落とす」という意味で、ファンブル状態にあるボールは、その瞬間はどちらのチームにも属さず、先に確保した(=リカバー)チームが攻撃権を獲得する。
オフェンスがファンブルを犯した場合オフェンスがリカバーすれば、そのまま次の攻撃権に進むだけだが、逆にディフェンスがリカバーすると、その瞬間から攻撃権は新たにディフェンスのチームに移る。そのため、ディフェンスにとってファンブル・リカバーは起死回生のリターンTD(タッチダウン:6点)も狙えるビッグプレイとなる。

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インターセプト:
オフェンスのパスプレイにおいて、すでにQBのパスによってボールが空中に放たれている場合、ディフェンスの選手は、オフェンスの選手に対するタックルというよりも、ボールに対するディフェンスを行い、相手レシーバーがキャッチする前にボールの横取り(=インターセプト)を狙う。
インターセプトが起きた瞬間に、攻撃権はボールを奪ったディフェンスのチームに移る。そのため、ディフェンスにとってインターセプトは起死回生のリターンTD(タッチダウン:6点)を狙えるビッグプレイとなる。

■反則
ペナルティをされたチームは、そのペナルティによる相手チームの罰退を受け入れるかどうかの選択ができる。場合によっては、相手チームの罰退により与えられる距離よりもペナルティをされながら獲得した距離の方が長いこともある。ちなみに、ペナルティを受け入れた場合はそのプレイで使用した攻撃権は戻されるが、受け入れなかった場合は通常通り、次の攻撃権に進む。

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